今日、6月19日は『桜桃忌(おうとうき)』。太宰治の忌日のことで、夏の季語にもなっているそう。
桜桃とはサクランボのことで、桜桃忌の由来は太宰治が死の直前に書き記した短編「桜桃」。
生きるという事は、たいへんな事だ――太宰の思いが凝縮された桜桃おひとつ、いかがでしょうか。
Contents
太宰治ってどんな人?
日本を代表する文豪の一人、太宰治。
芥川龍之介が大好きだったことから数多くの逸話
が残されている彼ですが、本人は「明るく振る舞うけれど、実は悩み多き人」だったという解釈が多いみたいですね。
「根暗」とは少し違うし、今風に言う「陰キャ」というのとも違う。
普通に生きているけれど普通じゃない重荷を抱えている人、というのが太宰治であり、ここが多数の読者から共感を得るポイントなのでは……と思うのです。
太宰の作品には自身の経験や人生観を重ねたものが多く、今回紹介する「桜桃」の主人公も太宰自身がモデルなので、作品に触れることで「太宰治」という人間をより深く理解できるんじゃないかな……? と思います。
なお、サクッと太宰治を理解したい方はBOOKOFFONLINEさんにて秀逸な記事を見つけましたので、ご参考まで*
短編「桜桃」
主人公(=太宰)は小説家。妻と喧嘩をしたことはないけれど、実のところお互いが疲れているのを知っていて、あえて触れずにいるだけ。
ある日、主人公は子供に乳をやる妻の前で「どうも、こんなに子供たちがうるさくては、いかにお上品なお父うさんといえども、汗が流れる」と愚痴ります。
「お父さんは、お鼻に一ばん汗をおかきになるようね。いつも、せわしくお鼻を拭いていらっしゃる」と一度は流した妻ですが、主人公が「お前はどこに一番汗をかくか、内股かね」と尋ねたことで雲行きは一気に怪しい方向へ。
次の瞬間、妻は主人公に強烈な一言を投げかけます。
「この、お乳とお乳のあいだに、……涙の谷、……」
気まずい事に堪え切れないという主人公にとって、これほど耐え難い空気はないでしょう。
そう、桜桃なんて可愛らしい名前ですが、ぶっちゃけ夫婦喧嘩の小説なのです。
「涙の谷」
そう言われて、夫は、ひがんだ。しかし、言い争いは好まない。沈黙した。お前はおれに、いくぶんあてつける気持で、そう言ったのだろうが、しかし、泣いているのはお前だけでない。おれだって、お前に負けず、子供の事は考えている。自分の家庭は大事だと思っている。
思ってるんだけど、
しかし、おれには、どうしてもそこまで手が廻らないのだ。これでもう、精一ぱいなのだ。
真面目だからこそ、「理想」と「現実」の間で苛まれているという構図が辛い。言い争いを好まないがゆえに、本音を伝えきれない気持ちが切ない。
この苦しさを、太宰はこんな文にまとめています。
生きるという事は、たいへんな事だ。あちこちから鎖がからまっていて、少しでも動くと、血が噴き出す。
そして、結局妻のことに触れることがないまま、かと言って仕事も手につかなくなった主人公は、自殺の事ばかり考えながら酒を飲む場所へまっすぐに向かいます。
サクランボ
酒を飲む場所で提供されたのが、桜桃――そう、サクランボでした。
子供より親が大事、と思いたい。子供よりも、その親のほうが弱いのだ。
桜桃が出た。
(中略)
しかし、父は、大皿に盛られた桜桃を、極めてまずそうに食べては種を吐き、食べては種を吐き、食べては種を吐き、そうして心の中で虚勢みたいに呟く言葉は、子供よりも親が大事。
子供より親が大事だ、と思いたい――と言ってしまうあたり、主人公の弱さが包み隠さず表されていて、同じ境遇なら共感を飛び越えてある種の「救い」すら感じそうな潔さ。
親とはいえ、やっぱり人間。
なんだかんだ言っていたって、こう思っちゃうことってあると思うんです。
己の弱さと、必死に耐えようとする自己との葛藤。
つまり人間臭さが太宰の魅力の一つではないでしょうか。
この、桜桃の種を吐くだけのシーンも、「種=子孫を作る」ことしかできないという主人公の葛藤を暗喩しているよう。
あんまりストレートなので、好き嫌いが分かれるのもうなずける気がします。
と思うけれど、もしかしたらこういう期待も「糞真面目な」主人公にとっては重荷、ある意味でのプレッシャーになっていたのかもしれません。
いまは亡き文豪の忌日に寄せて、今夜は彼の最後の短編「桜桃」を読んでみてはいかがでしょうか。
青空文庫|太宰治「桜桃」はこちらから。
それでは*