コラム

映画「サイダーハウス・ルール」レビュー|規則と救済の間で戦う人々

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世の中には、たくさんのルールがあります。

だけど、それは常に正しいわけじゃない。

社会のルールとは違うこと。
いままでどおりじゃないこと。
多数派ではないこと。

こういったルールが正しいこともあるし、ときには「どちらも正しい」あるいは「どちらも正しくない」ということもある。

今回ご紹介する映画「サイダーハウス・ルール」、レビューのキーワードは、「規則」と、「人の役に立つ」ということ。

あなたは、人を助けるために規則を破ることができるでしょうか?

どんな映画?

1|ホーマー、外の世界へ。

サイダーハウス・ルールの舞台は、1940年代のアメリカ。白人と黒人の差別が根強かった時代です。

主人公のホーマーは、孤児院で暮らす孤児。父親のような存在のラーチ医師のもとで医術を学び、孤児院で望まない妊娠をした女性たちの出産や中絶の手術を手伝う彼は、医師と同等の知識を持っているのですが、実は「孤児院の外」の世界に憧れが。

アメリカで中絶が女性の権利として認められたのは、1973年(最高裁判決:ロー対ウェイド裁判)のこと。

つまり「サイダーハウス・ルール」の物語が展開される1943年は、中絶が法律的に許されていませんでした。
ラーチ医師は、望まぬ妊娠をしてしまった女性や、その結果孤児となってしまった子供たちのために(=「人のために」)ルールを破る道を選択しながら生きている、というわけです。

ある日、育ての親ラーチの堕胎の手伝いをし続けることに疑問を抱いたホーマーは、中絶のため孤児院を訪れたウォリー夫妻の車に乗り、ウォリーの実家であるリンゴ農家で働き始めます

このリンゴ農家の名前が、サイダーハウス。
その壁に貼り付けられていたルールが、サイダーハウス・ルール。

瑛
ところが、サイダーハウスで働く黒人労働者は、そのルールが読めません。

十分な教育を受けていないため、文字が読めないのです。そんな労働者相手に、文字を使ってルールを勧告。

ここが、サイダーハウス・ルール最大のポイント!

2|幸せな日常と不倫

リンゴ農園での暮らしに幸せを感じていたのもつかの間、ウォリーのビルマへ遠征が決定。中絶手術を受けたウォリーの妻:キャンディもようやく回復するのですが、なんとここで二人は恋仲に。

瑛
ずっと孤独+周囲の環境を受け入れてしまうというホーマーの性格上、こうなることは致し方ない……。

季節は巡りリンゴの季節が終わると、労働者たちはまた会おうと挨拶を交わして散り散りに。
ここで、ホーマーは孤児院のラーチ医師から「孤児院に帰ってきて医師にならないか」と持ちかけられますが、これを頑なに拒み続けます。

3|ローズの望まぬ妊娠、ルールの破棄

幸せは長くは続きません。

さらに数カ月後、再びリンゴ農園の労働者たちと再開したホーマーは、すぐになにかがおかしいと気が付きます。その後、労働者のリーダーであるMr.ローズの娘:ローズが実の父親の子供を妊娠したことを知ります。

時同じくして、ビルマに赴いていたウォリーが下半身不随になったというニュースまで舞い込んできます。

4|堕胎手術、そして帰郷

考えた末、ホーマーは「自分は医師である」ということをローズ親子に伝え、堕胎手術をする決意を固めます。

一度は拒絶した中絶手術。ですが、きっとホーマーはラーチが発した「人の役に立て」という言葉に隠された意味と、ラーチの真意を察したはず。

瑛
医師免許を偽造したり、禁止されているはずの中絶手術を行ったラーチの行動は「当時の社会通念からすると悪」かもしれないけど、そうしないと救えない人々を生んだ「社会の闇」もまた深い……。

それぞれの「ルール」

この作品の中では、あらゆる登場人物が独自のルールに従い、支えられ、そして疑問を抱きながら生きていきます。

たとえば、ラーチ医師のルールは「人の役に立つ」こと。堕胎で救える命があることを知っている彼は、社会通念上「悪」とされているという理由だけ堕胎を悪と考え排除することこそが「最大の罪」だと感じているのです。

瑛
孤児院の長をやっているくらいだし、これ以上悲しい思いをする子を増やしちゃいけないという思いもあったはず。

自分のルールを持っている大人だから迷わないか、というとそうではないのもこの映画のいいところ。

ルールの不完全性正しくない部分も知っているからこそ、彼は静かに葛藤します。

瑛
エーテルを吸うシーン、物憂げな視線が何となく悩み多き孤児のホーマーと重なるような気がします。

一方、主人公のホーマーは、映画冒頭ではラーチの言いつけを守り、「Right」と言うことが多い青年ですが、リンゴ農園で暮らす中で自らの中に自分だけのルールを形成してゆきます。

最初は堕胎に反対していたホーマーですが、望まぬ妊娠をし苦しむローズを前に一般常識」が「必ずしも幸せを導くものではないこと、その「一般的」な考え方やルールのせいで苦しむ人がいることを知り、堕胎はしないというルールを破ることで自分の中に確かなルールを確立しました。

瑛
この「一般常識」は、まさしくサイダーハウスの中に貼ってあったルールと同じ。

「サイダーハウス・ルール」の意味

映画「サイダーハウス・ルール」の本当のテーマ

冒頭のメモで1940年代は中絶が認められていなかったと書きましたが、実は州によって法律が違うのが現状。特に「バイブル・ベルト」とも呼ばれる保守的な南部の州中絶禁止の法制化を進めています。

Me Too運動が大きなムーブメントになったけれど、人工妊娠中絶を制限・禁止する法律制定に対する反対運動はもしかしたらそれ以上のムーブメントになるかもしれません。

瑛
こうしたムーブメントの根底にあるのは、原題の「サイダーハウス・ルール」だと思う。

文字が読めない黒人労働者に向けて、白人が文字で規則を列挙した「サイダーハウス・ルール」のように、多くの場合、ルールを作るのは当事者ではない「他の誰か」です。

実際にはその場所におらず、そのルールや倫理に直接関係のない人々が規則を作り出している。だから、サイダーハウス・ルールが労働者に読まれることはなく、彼らの生活を改善するはずもなかったのと同じように、作中では中絶法によって苦しむ女性たちの姿や倫理と救済の間で葛藤するラーチ医師の生き様が描かれます。

瑛
つまり、サイダーハウス・ルールのテーマは中絶の是非や人種差別ではなく、「当事者のことを理解していない人が作った規則は、役立つどころか逆に重荷となってしまうことがある」という点にあるのではないかな、と思うのです。

身近な「サイダーハウス・ルール」

みなさんも、身近なところで「サイダーハウス・ルール」を見かけたことはありませんか?

たとえば、少し前に話題になった「Ku Too運動」。多くの女性が職場でハイヒールやパンプスを強制されている現状を変えよう、というムーブメントです。この構造やマナーがおかしいのではないか、という意見に多くの女性が賛同した一方、根本厚労相が「社会通念に照らして業務上必要かつ相当な範囲」と発言したことで大きな議論が巻き起こりました。

何が正しいか正しくないかではなく、どうしたら今苦痛を感じている人がより良く働くことのできる環境を作り出せるかというところを議論できたらいいのだけど、そうならないところに「サイダーハウス」を感じてしまいます。

もっと身近な例をあげると、校則なんかはサイダーハウス・ルールの典型例だと思います。

瑛
高校で服装指導する側の人が何言ってんのって話だけど、ぶっちゃけ行き過ぎ校則ってすごい多い気がするんだよね……。

頭髪は必ず黒。耳が隠れる長さの髪の毛はNG。最近は少し柔和になってきたけど、少し前までは授業中の水分補給はNGだったし、女の子が赤色以外のランドセルを使っていると(もしくはその逆)、担任の先生から事情を聞かれることだってあった。

髪の毛の長さって、そんなに厳しく見るべきものなの?

もちろん、目が隠れるくらい長いとか、見るからに不潔な髪型は駄目だけれど、耳にかかる程度の髪型は社会通念に照らしても不適当とは言えない長さだと思う。
というか、多分「あ! あの人の髪の毛が耳にかかってる! けしからん!」ってなる人のほうが少ないはず。

たまに問題になるけれど、熱中症厳重注意の情報が出てるのに練習を敢行する運動部など「痛い思い、嫌なことを我慢すること=経験」という考え方が、教育の世界では少し行き過ぎているなと感じることが多々あります。

それと同じように、授業でも「一般的に正しいこと」や「みんなが良いと思う選択」を選ぶことこそが「道徳的」だとする傾向が強いように思います。

瑛
生徒からのSOSが「甘えだ」「協調性がない」という言葉で切り捨てられてしまうこともあるもんね。

まとめ

さて、ここであなたが守ろうとしているルール、あるいは普段従っている暗黙の了解について考えてみてください。

それは、本当に「誰かのため」になるルールでしょうか?

そのルールを守ることで傷つく誰かがいるなら、もしかしたら「サイダーハウス・ルール」かもしれません。

瑛
誰かを救ういちばんの方法は、ルールや言われたことを守ることではなくて、困っている誰かのことをよく知ること。

規則を守ることと誰かの役に立つことは、映画の中で描かれていたようにときに対立する概念。

すべてを一度に変えることはできなくても、相手のことを知ろうとする心があれば大丈夫。
1人じゃ難しいことも、みんなで知恵を出し合えば意外な解決策が出てくるかもしれません。

自分ひとりでなんとかしようと思わないこと。
今あるルールがすべてだと思い込まないこと。

誰もがラーチ医師のように「人の役に立つ生き方」を大切にできる社会になればいいなあ、と考えさせられる映画でした。

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