読書好きのみなさん、突然ですが「読む」ことに疲れることってありませんか?
本は好きだし読書だって好きだけど、時折出会うのがどうしても読みきれないなあ……という本。理由は様々ですが、決まってモヤモヤが残るもの。
そういうモヤモヤがたまると、本そのものから手が遠のいてしまうこともしばしば。
今回は、そんな読書マンネリ期の特効薬になりうるとっておきの一冊をご紹介します!
Contents
限りなく文庫に近い新書
今回ご紹介するのは池澤夏樹さんの「知の仕事術」。
新書というとビジネス系の内容だったり、参考書みたいな内容を連想してしまいますが、「知の仕事術」は池澤夏樹さんの書評をもとにしたエッセイ集。
エッセイ集なのに、読んでいると不思議なことに「これは小説だ……」と錯覚してしまう不思議な一冊。語り口が難しくないということに加え、ノウハウとその効果だけを羅列しているわけでは決してないというところがポイント◎
もちろん、池澤さん自身がお仕事のときに大切にしていることや持っていくもののお話もありますが、この本の中心は「読む」ということだと思います。
読む、という行為を見つめ直す一冊
普段から本を読むことが多い人でも、いざ「読むとは、一体どういうことだと思いますか?」と尋ねられるとウッとなってしまうもの。
わたし自身、読書は好きだけれど「きちんと読んでいますか?」と聞かれたら答えに戸惑ってしまいます。
読書好きさんにこそ読んでほしい
心に残ったフレーズの項でご紹介しますが、読みたいけれど読めてないんだよなあという小さな悩みを解決するきっかけに出会えたのも嬉しいポイント。
本を読むということを褒めるだけではなくて、別に読めなくたっていいじゃない、無理して読む必要なんてないんだよというあたたかな姿勢が根底にあるからか、心がキリキリすることなく読みすすめることができます◎
他にも、読書好きさんあるあるが満載だったりします。
いま電車に乗ると、ほとんどの人がスマートフォンを見ている。だから稀に、スマホではなく本を手にしている人を見かけると、尊敬の念を抱くと同時に、何を読んでいるか無性に気になってしまう。
そう、気になるけど何読んでるか分かんないんだよね……! と思っていると、
近くだったらちらっと覗き見する。が、タイトルがわかることはまずない。
どうですこのシンクロ感。思わず頷きたくなりました。
「モノとしての本の扱いかた」という章では、本に書き込みをするのがどうにもはばかられるという池澤さんのお話を読むことができます。
ぼくは本は私的な所有物であると同時に公共財であるという意識から逃れられない。これは自分だけのおかしな思い込みだとわかっているのだが、どうしようもない。
絶対売らないとわかっている本でも、次に読む人のことを考えてみたり、本の完璧さ(?)を損ねる気がしたり、とにかく本に失礼な気がして書き込めない。もちろん、本に書き込みをする人を批判する気持ちは全くなくて、そういう読み方って大いにありだと思っています◎
ただ、自分のこととなると……どうしてもメモしたいときは同じ本をもう一冊買ってしまいます(※とくに几帳面というわけではない)。
中でも記憶に深く残ったのが本の読み方についての章でした。
本の読み方を考える
「速読」と「精読」を使い分ける
速読と精読、どちらが優れているというわけではなくて本によって使い分けるといいよというのが池澤さんのスタンス。
どれくらいの密度で読むかも本ごとに違ってくる。(中略)その使い分けは、自分の生理と本の性格の両方で決まる。
さらに、本を最後まで読むべきか? についての項ではこんなことが書かれています。
「歯が立たない」であれ、「つまらない」であれ、「なんか面白くない」であれ、読むのをやめたいと思ったらいったん投げ出していい。いかに名著と言われている本であろうと、我慢して読む必要はない。
読書を趣味にしている人なら一度は抱いたことのあるモヤモヤをすっと取り払ってくれる優しい一冊。読書疲れを癒やす特効薬かもしれない。
おすすめを挙げてゆくとキリがなさそうなので、今回はまとめの代わりに心に残ったフレーズを以下に列挙してゆきたいと思います◎
心に残ったフレーズまとめ
読書とは、その本の内容を、自分の頭に移していく営みだ。
きちんと読んだ本はその先、自分が物を考えるときに必ず役に立つ。
マウントを取るために読むのではなく、ディベートで相手を負かすために読むのでもない。「未来の自分」のために読む。これこそ、読書をする理由だと思うのです。
古典というと、どこからか「読んだか?」という声が聞こえる。
詰問されているような気分になる。
あるあるすぎて共感の嵐。一方で、池澤さんでさえこういう気持ちになるのかと思うとちょっと救われる気さえします。
「知の仕事術」の中ではこの古典に言及した章もあり、その中で池澤さんはこうも述べています。
それはつまり、年齢とともに読む力も伸びるということだ。世間知が増すにつれて、あるいは人生の苦労を重ねた分だけ、本の内容の理解も深まる。
国語の授業をきっかけにして古典が好きになったという人がいる反面、意味不明すぎて余計に苦手意識が高まったという人も多いですよね。
特に夏目漱石の「こころ」とか。「精神的に向上心のない者はばかだ」しか覚えてないとかあるよね。
世の中には名著と呼ばれる本がたくさんあって、長い間読み継がれてきたということはそれだけたくさんの人が感銘を受けているということなのだろうけれど、どうにも良さがわからない。
そういう話をすると「え?」という反応をする人もいるけれど、そうではなくて本と人が出会うタイミングも大事なんだという見方ができれば、もっと読書が楽しくなるように思います。
これは無数の細部の集成である。
池澤夏樹さんが書いた『水俣病の民衆史』の書評からの抜粋。
数字ではなく、一人ひとりが生きた日々の記録の束として本を書き残さなければならないという部分を読んだとき、思い出したのは村上春樹さんの『神の子どもたちはみな踊る』でした。
使い終わったら手放していく書物との関係を、ぼくは「キャッチ・アンド・リリース」だと思っている。
それまでは、本を売るという行為になんとなく後ろめたさを感じることもあったけれど、なるほどこういう付き合い方もありだと思わせてくれた章の一節。
よほどの例外でない限り、家における本棚の数は決まっているし、所有できる本の数も決まっています。
本棚の鮮度を保つという意味で、常に手元においておきたい本でない限りは次の読み手に渡す(=大海原に返す)という考え方、とっても素敵でためになりました。
関連書籍
- ウンベルト・エーコ「薔薇の名前」
- 山崎佳代子「戦争と子ども」
- 岡本達明「水俣病の民衆史」
- 石牟礼道子「苦海浄土」