レイ・ブラッドベリ「華氏451度」の考察記事、ついに公開開始です!
あいさつ文が味気ないところからも何となくお察しなのですが、そうです、皆さん、その通りなんです。
5000字あるので、小説を読み切って「暇だし読んでやるかね!」という方や、小説を読む前に「ネタバレあってもいいから好みにあう本かどうか確かめたい!」という方にお勧めです。
今回のテーマは「考えるために必要なこと」。作中で示された考えるために必要な3つの要素を深堀りしていきます!
本記事は「華氏451度」のネタバレを含みます。がっつり含んでます。
ネタバレNGの方はご注意を!
Contents
前半五分の一まで
モンターグが昇火士として「本を燃やすのって楽しいいい!!」と熱弁するシーンから物語は始まります。
仕事後も上機嫌でヘルメットを磨き、シャワーを浴びたモンターグは
口笛を吹き吹き、両の手をポケットに階上を突き当りまで横切り、穴から落下した。(中略)金色のポールを抱いてブレーキをかける。
というアクションを挟むのですが、このシーン、初見だと「?」となるかも(わたしはなりました笑)。
これは消防署のポールを使って下の階に移動するシーン。
出典:Quora「今でも消防署には滑り棒がありますか?」このポール、英語では「fireman’s pole」というんですね……!
すっかり昇火士として炎に魅入られているモンターグですが、隣に越してきた少女:クラリスと出会うことで彼の人生は一変します。
昇火局の人たちのことはみんな怖がっているとしながらも、クラリスはモンターグのことを「ただの人間じゃない、やっぱり」と一蹴。
ここから先に、モンターグが「炎」の中に忘れかけていた大切なものを見るヒントが隠されています。
不思議に落ち着く、見慣れない、やさしく励ますようなロウソクの光だ。子どものころ停電のとき、母親が一本だけ残っていたロウソクを灯し、つかのま見違えるような気分を味わったことがある。(中略)母と子はすっかり変わった姿で、電気があまり早くもどらないよう願っている……。
高度に文明が進んでいるはずの舞台において「停電」というのは不便極まりないもの。普通なら「早く復旧してくれ!」と思うところですが、ロウソクの光を見た母とモンターグは「あまり早く戻らないでくれ」と願っているのです。
ついさっきまで本を燃やしていた「炎」と同じ炎なのに、ロウソクの光はまるで違うのはどうしてだろう?
この理由は、クライマックスでモンターグがたき火で暖を取る際、彼自身の気付きとして詳しく語られることになります。
それはただ燃えているのではなく、温めているのだった。(中略)火が、奪うだけでなく与えることもできるとは、これまで考えたこともなかった。
ここで「考えたこともなかった」とあるように、モンターグはじめ「この世界の住人たち」に欠落しているのは「考えるということ」つまり「思考力」なのです。
考えるために必要なもの
思考力が欠落しているとは、一体どういうことなのか。
この答えをくれるのが、物語中盤からモンターグの強力な助っ人となるフェーバー教授。
- 情報の本質(特性)
- ①の情報を消化するための時間(余暇)
- 最初の二つの相互作用から学んだことに基づいて行動を起こすための正当な理由
1│情報の本質について
これは「信じたいことを信じるのではなくて、正しい情報をきちんと得る」ということ。
作中では、フェーバー教授が下記のように語っています。
さあ、これでなぜ書物が憎まれ、恐れられるのか、おわかりになったかな? 書物は命の顔の毛穴をさらけ出す。気楽な連中は、毛穴もなくつるんとした、無表情の、蠟でつくった月のような顔しか見たがらない。われわれは、花がたっぷりの雨と黒土によって育つのではなく、花が花を養分として生きようとする時代に生きておるのだよ。
つまり、誰もが信じたいこと(=きれいなお花は雨と栄養たっぷりの土から生まれてる)ではなく、現実の真の姿(=花の養分は花、共食い状態の世の中)を突き付けてくるからこそ、書物が恐れられているという構図が明らかになるのです。
女王の教室で講義済みでした
これについてとても分かりやすく説明してくれている先生がいらっしゃいました。
ドラマ「女王の教室」に登場する阿久津真矢先生です。
日本という国は、そういう特権階級の人たちが楽しく幸せに暮らせるように、あなたたち凡人が安い給料で働き、高い税金を払うことで成り立っているんです。
そういう特権階級の人たちが、あなたたちに何を望んでいるか知ってる?
今のままずーっと愚かでいてくれればいいの。世の中のしくみや不公平なんかに気づかず、テレビや漫画でもぼーっと見て何も考えず、会社に入ったら、上司の言うことを大人しく聞いて、戦争が始まったら真っ先に危険な所に行って戦ってくればいいの。
ーー「女王の教室」より
フェーバー教授と比べると超剛速球のド直球ではありますが、分かりやすさは最強。
華氏451度では社会の階級みたいなものまでは言及されておらず、どちらかというと戦争や人間の暗い一面といった「面倒なもの」から全力逃避するために書物を捨てている印象が強いですが、現代に置き換えて考えるならばつまり真矢先生が言っている通りのことだと思います。
あなたたちは、この世で人も羨むような幸せな暮らしをできる人が、何%いるか知ってる?
たったの6%よ。
この国では100人のうち6人しか幸せになれないの。このクラスには24人の児童がいます。ということは、この中で将来幸せになれるのは、一人か二人だけなんです。
残りの94%は毎日毎日不満を言いながら暮らしていくしかないんです。ーー「女王の教室」より
こういうことを「伝えてほしくない」「見たくない」という気持ちはどの時代の人間にもあるもの。
実際、女王の教室に対してはPTAから苦情が寄せられたそうなので、女王の教室はある意味現代版:華氏451度といっても過言ではないかもしれない……!!
2│情報を消化するための余暇について
フェーバー教授に「余暇が足りんのじゃよ」と言われたモンターグは「いや仕事してない時間ならありますよ」と返します。
これに対するフェーバー教授の言葉は以下の通り。
仕事をしていない、暇な時間ならばたしかに。しかし考える時間ならどうかな? 時速百マイル、危険以外のことは考えられない速度で車を走らせておるのでなければ、ゲームに興じているか、一方的に話すだけのテレビに四面を囲まれた部屋に座り込んでおる。ちがうかね?
テレビは現実だ。(中略)それは正しいにちがいない、と思ってしまう。とても正しい気がしてくる。あまりに素早く結論に持ち込んでしまうので、”なにをばかな!”と反論するひまもない。
外から与えられた情報を眺めることと、実際に自分の頭で考えることは全くの別物。
正しくないことであったとしても、何となく正しい気がする……いや結論って言ってるから正しいんだろう! となった結果、実は誰も深く考えてる人がいない。
UNDERTALEのフラウィー君も似たこと言ってた
これ、なんだかどこかで似たことを言われた気が……としばらく考えていて思い出したのが、UNDERTALEというゲームのこと。
とにかくストーリーが秀逸な名作なのですが、今回はレビューを我慢して関連シーンだけをご紹介!
とあるルートの攻略を進めた先で、ゲームの登場キャラクターであるフラウィがこんなことを口にするのです。
*ま、少なくとも自分でやらずに見てるだけの奴らよりはマシさ・・・どうなるのか知りたいクセに、自分では出来ない情けない連中・・・
*今もきっと、そんな奴らが僕たちを見てるんじゃないかな
ーーゲーム「UNDERTALE」より
これはプレイヤーにとってはある種の救いとなるセリフであると同時に、結末だけ知りたいやという人たちにとっては脅威となりえるセリフでもあります。
フラウィが言う「自分でやらずに見てるだけの奴ら」というのが、テレビから与えられる情報をもとに「考えている」気になっているけれど、実は与えられた情報を鵜吞みにしているだけという華氏451度の中に出てくる人々と重なるものがあるように思うのです。
知っている結果は同じものかもしれないけれど、そこに至るまでに考えたことや経験したことに意味がある、いやむしろ結論に至るまでの部分が本質なんじゃないかな、と思います。
結果だけ与えたら満足する人たちが相手なら、都合のいい解釈で都合の悪い現実を隠すなんて簡単にできそうですしね(結構あからさまな「やばめの現実」が展開されていても、思考力0の作中の人たちは騙されてるしね……)。
3│学んだことを行動に移すための正当な理由
これは正解が一つに絞れないタイプの条件。
後半、この理由についてモンターグは失敗例と成功例を示してくれます。
では、失敗時と成功時、それぞれの理由を眺めてみましょう◎
失敗時の理由│『カッとなってやった』
はい、過去何億回と使いまわされてきた犯行動機の模範解答です。考えることを放棄して、感情に突き動かされた結果大失敗。
フェーバー教授の助力を得て計画実行のはずが、モンターグは自宅でとてつもなくくだらない話を繰り広げる妻とその友人にブチギレてしまいます。
隠していた本を大っぴらにするだけでは飽き足らず、読み聞かせ大会を挙行し、取り乱した妻の友人には「帰れ帰れ、もたもたしてると、張り倒してそとへ蹴りだすぞ!」と大声を張り上げる始末。
当然、フェーバー教授には「黙らんか、この愚か者が!」と一喝されます。
- 相手にしない
- 我慢、我慢
とはいえ、こっちがいろいろ考えているときに目の前でバカ騒ぎされたら誰だってイラつくもの。わたしがモンターグの立場でも、同じことしてたような気がします。
それって、心のどこかで「おまえたちみたいなバカと違うんだ!」と思っている証拠。
つまり、モンターグはフェーバー教授の「知識をひけらかしてはいかん」という言葉に真正面から反発してるわけなのです。
成功例│『友を取り戻すため』
人を信じてはいかん。そこが厄介なところだ。
クライマックス直前にめっちゃピンポイントに警告してくれてるフェーバー教授ですが、それでもやっぱり騙される。
モンターグの前に立ちはだかったのは、昇火隊長であるベイティー。いわんこっちゃない。フェーバー教授、この瞬間絶対家で台パンしてたと思う。
本に精通していて、おそらくかなりたくさんの本を読んだに違いないこの男、モンターグがつけていたフェーバー教授お手製の緑の弾丸に気付いて奪い取ってしまいます。
「こいつの発信元を突き止めて、お友だちの家にも行かせてもらうとしよう」
ベイティーのこの言葉を聞いたモンターグは、火炎放射器をベイティーに向けて安全装置を外します。
これまで、モンターグが火炎放射器を使う理由は「そこに本があるから」という至極単純なものでしたが、今回は「友であるフェーバー教授を守るため」に火炎放射器を使う。今までとはまるで事情が違います。
引き金を引いてみろというベイティーに対し、引き金を引く直前、モンターグはただ一言だけ返します。
ぼくらは一度だって、正しい理由でものを燃やしたことはなかった。
少なくとも、誰かから与えられた目的のために機械的に引き金を引いているわけではないので、彼にとっては正しい理由だったということになります(ただしベイティーを燃やしてしまう行為そのものまで正当化はされません)
このモンターグの行動を、フェーバー教授は次のように表現しています。
すくなくともきみは正しいことをするために、ばかなことをしたのだ。
フラウィーの言葉でさらに補完するなら、自分でやらずに見てるだけの奴らよりはマシという一文が加わりそうです。
すべてをハッピーエンドにする選択ができるという状況はすごいレアケースで、たいていの場合はどこかで苦しい思いをしなきゃいけない。
だからこそ、自分の頭で考えて、その結果行動するための正しい理由が必要になるというわけです。
誰かが決めたルール通りに行動するのは簡単で、苦しむこともないだろうけれど、それってつまり作中に出てくる機械猟犬と同じなんですよね。
《探す・見つける・殺す》だけしか知らずに、一生を終える機械猟犬。
それはそうと、ベイティー隊長……実はわたしが作中で一番気になっている登場人物だったりします。
ベイティー隊長については次の記事で深堀りする予定です◎(って書いてる時点でこの記事4000文字超えてることに冷や汗)
まとめ……の代わりにコメントを!
よくある小説みたいに「技術革新なんてとんでもない! 本が一番なんだ!」というスタンスではないことも、華氏451度の魅力のひとつだと思います。
きみに必要なのは本ではない。かつて本の中にあったものだ。今日の”ラウンジの家族”のなかに、おなじものがあってもよかったはずなんだが。
物語の随所で、もしかしたら実現したかもしれない理想の世界も見せてくれるところにブラッドベリのあたたかさを感じます。
続く考察記事の主人公はベイティー隊長。やはりかなりボリューミーな内容になりそうですが、少しでも楽しんでいただければ幸いです◎
なにはともあれ、この記事が華氏451度に興味を持っていただくきっかけの1つになれば嬉しいです◎
それでは、また次の考察でお会いしましょう!