日記

【神田・玉川上水】東京半日旅行のすすめ

伊佐奈 瑛

今回の記事は神田上水・玉川上水の歴史をたどる東京半日旅行!

ちょっとだけ移動距離が長いので、真夏の探索は飲み物と休憩をお忘れなく☕

玉川上水

承応2年(1653)、江戸や武蔵野台地の村々へ飲料水や生活用水を供給するためにつくられた上水道。

慶長8年(1603)に徳川家康によって江戸に幕府が開かれたことをきっかけに、江戸の人口が急増。三代将軍家光のころには参勤交代が導入され、水不足が深刻な問題となっていました。

そこで、多摩川の水を羽村から取り入れ、武蔵野台地を掘って約43キロメートル先の四谷大木戸(現新宿区四谷)まで流し、そこから江戸に水を届けようという計画が立てられたというわけです。

東京都水道歴史館

東京都文京区本郷にある水道歴史博物館。

東京水道400年の歴史を江戸時代と明治時代以降に分けて展示していて、館内では実物大模型や歴史資料、映像を見ることができます。

伊佐奈 瑛
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水道歴史博物館は入館無料◎

玉川兄弟

玉川上水の造成工事を指揮した町人の兄弟。兄は庄右衛門(しょうえもん)、弟は清右衛門(せいえもん)です。

玉川上水の工事がうまくいかず、資金難に陥ったときは私財をなげうって工事費用を工面したのだとか。展示室のVTRでは玉川兄弟のその後が描かれなかったので、今度羽村市へ調査に行こうと思っています◎

玉川兄弟のお二人。羽村市にも同じポーズの銅像が立っているよ!

玉川兄弟

玉川上水の工事計画・請負をした兄弟。

江戸幕府は玉川兄弟の計画を認め、6,000両の資金を与えて工事の指揮をとらせましたが、工事は難航し資金は途中で尽きてしまいます。

2人は自分たちの屋敷を売って工事の費用に充て、上水を完成させたといわれています。


玉川上水の工事は途中何度か苦難に見舞われており、中でも有名なのが水喰土(みずくらいど)の伝説

ようやく完成した堀に水を流したところ、土に水が吸われてしまった……という場所が、現在もみずくらいど公園として残っています。

玉川上水の完成により、町人だった庄右衛門と清右衛門は「玉川」という姓をもらい、上水の管理の仕事を任されました。玉川家による上水の管理は、江戸時代の中ごろまで続いたそうです。

水道橋の名前の由来

展示室には「水道橋」の名前の由来になった懸樋の模型も。

川にかかっているのは「懸樋」という水専用の橋。神田上水の水を江戸市中に通水するための水道管の橋がかかっていた場所だから「水道橋」と呼ばれるようになったのです◎

伊佐奈 瑛
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懸樋跡は実際に見に行くことができるよ!
今回の記事でも紹介します🐳

川にかかっているのが「懸樋」。柵の中で地面を覗き込んでいる人は水路の様子を見ています

木樋

木樋とは木製の水道管のこと。展示室では本物の木樋を見ることができます。

水が漏れ出さないように一枚板出できていたり、水の流れる方向に蓋の木目が合わせてあったりといった工夫が随所に光る木樋、なんと実際に触ることができるコーナーもあります!!

この木樋、ぜひ現地で実物を見てほしい……!

世界最高水準の技術

ガラスケースに入った模型右側の構造にご注目

木樋の模型をよく見ると、途中で垂直に下がって、また垂直に上がっていることがわかります。このように一度下がった場所から再び水を汲み上げるためには、水道管の気密性が保たれている必要があります。

江戸の木樋がこのような構造を持っていたということは、木樋は気密性基準をしっかりクリアしていたということを示しています。

伊佐奈 瑛
伊佐奈 瑛

これは当時の世界最高水準技術だったとされているよ!

神田上水石樋

水道歴史館の裏手で、東京駅付近で発掘された神田上水の石樋を見ることができます。

なんとこの石樋、400年前の姿をそのまま残しているのだとか!
重機もなにもない時代に、遠く離れた取水地から江戸の街まで水を引っ張ってきたなんてすごすぎる……!

水道橋駅から神田川を歩く

水道歴史館から神田川に沿って歩いていくと、水道橋駅にたどり着きます。

水道橋駅を起点に再び神田川沿いを歩くと、神田上水の史跡パネル御茶の水分水路に到着。

さらに進むと、歴史館で見た懸樋の跡地があります◎

伊佐奈 瑛
伊佐奈 瑛

昭和第一高等学校の前なんだけど、横断歩道がないから一度水道橋駅前まで歩いて引き返すよ~!

足を伸ばして四谷まで🐳

四谷には玉川上水水番所跡玉川上水の終着点があります。
今回は地下鉄に乗って四谷三丁目駅まで行ってみることにしました◎

玉川上水 水番所跡

かなり目立つ史跡パネルがあるからすぐにわかるよ!

水番所というのは、水門の見張りをしたり、水路に変なものを捨てたりする人がいないかを監視する水番人の詰所のこと。

水道管が地中に敷設されている現代ではちょっとイメージしづらいけれど、水路が町中に露出している江戸の街では、水路で汚れたものを洗ったり、ひどいときには用を足してしまう……なんて町人もいたそうです。

現在の四谷区民センターの場所には玉川上水の水番所が置かれていました。

伊佐奈 瑛
伊佐奈 瑛

四谷区民センターの中に水道局の新宿営業所があるのって、偶然じゃないよね……?

水番人

幕府が玉川上水を維持・管理するために置いたのが水番人

水番人が置かれたのは上水沿いの羽村・砂川村(現立川市)・代田村(現世田谷区)・四谷大木戸(現新宿区)

それぞれの地区の水番人はお互いに連絡を取り合って水量調節をしたり、持ち場の見回り、水路の修理といった上水の管理を行いました。


また、上水にかかる橋の管理も水番人の仕事でした。

四谷大木戸

大木戸より先は江戸府外、と言われていました

四谷区民センターからすぐの交差点を渡った先にあるのが四谷大木戸

交通量の多い交差点で人通りもかなりある場所にたたずんでいるので、一見すると休憩スポットのように見えます笑

この大木戸は江戸の端っこ、これより先は江戸の外と言われていた場所です。ちなみに、大木戸の先にある武蔵と下総の2つの国にかかる橋が「両国橋」と呼ばれるようになりました。

玉川上水の終着点

特に看板や史跡パネルがあるわけではないのですが、玉川上水の終着点もこの四谷大木戸付近。

羽村市にある取水堰からこの四谷大木戸までは、約43キロメートル。ここから江戸の市中には石や木でつくられた樋によって給水したという歴史がひしひしと伝わってくる旅になりました。

伊佐奈 瑛
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今度は羽村市に行く予定です◎

余談:神田下水について

今回は神田上水・玉川上水を巡る旅でしたが、ぜひ神田下水も知ってほしい!

伊佐奈 瑛
伊佐奈 瑛

わたしは神田下水推しなのです!!(?)

神田下水は明治政府が東京府に対して下水道整備を促したことで誕生した東京初の近代下水道

明治15年、コレラが神田・芝などの地域で発生したことが背景になっています。

『虎列刺退治』(東京都公文書館所蔵)
「虎列刺の奇薬」=梅酢をぶっかけているところ。

東京都水道歴史館の展示は主に上水でしたが、コレラにまつわる展示もありました。

JR神田駅付近の地下には1884~1885年に建設された下水道の一部いまも現役で活動中。

伊佐奈 瑛
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東京都の下水道の歴史、リンクをいくつか貼っておくのでぜひ見てみてね~!👀

結構がっつり真っ暗な通路が出てくるので、苦手な方はご注意を!!

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伊佐奈 瑛
伊佐奈 瑛
クジラー/YouTuber/教育研究職
クジラーこと伊佐奈瑛です! 文字と鯨(特に鯨骨)が大好き。 興味と好奇心に忠実に、ゆったりと読んで学んで書く日々を楽しんでいます◎
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