コラム

人の不幸は蜜の味?|コンテンツ化する世界

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先日、新宿駅で起きた人身事故のことが話題になっています。

現場では作業用に張られたブルーシートの中にスマホを差し込んで撮影しようとする人が多数、駅員が放送を使って注意する事態に。

今日は、SNSの普及とモラルについての関係について考えてみたいと思います。

低下したのはモラルなのか?

ここで気になってくるのが「低下したものは何なのか」ということ。

記事やネット上では「モラル」とされているけれど、モラルって一体なんだろう。

瑛
ということで……調べてみました!

モラルとは、倫理観や道徳意識のこと。世代や状況によって徐々に変化するマナーよりも普遍的な価値観を含んでいる。

いわゆる道徳心倫理観社会や人生に対する精神的な態度のことをさす言葉ですが、今回の例に限らず昨今の社会を見ていると低下したのはモラルではない、もっとずっと深い場所にあるもののように思います。

瑛
モラルの根っこにあるものが変わっているから、パッと見モラルが低下したように見えるんじゃないかな。

だから、モラルが低下してるというよりずっと、事態は深刻かも。

モラルは、人間の行動としてある程度は目で見て感じることができます。

たとえば、電車内での譲り合いや、日々何気なく交わされる挨拶なども「モラルの形」の一つ。

だけど、モラルはある日突然変わるものではありません。

たくさんの人の価値観や社会全体の雰囲気といった、たくさんの「目に見えないもの」が、長い時間をかけて重なり合ってゆく中でモラルはゆっくりと変化します。

瑛
モラルの変化が目に見える形で現れているということは、「目に見えないもの」の価値はもっとずっと大きく変わっているはず。

低下しているのは「目に見えないもの」の価値

モラルを支える「目に見えないもの」には、たくさんの種類があります。

一人ひとりの価値観もそうだし、小さなマナーもそうだし、命の大切さ勉強をする意味、なんていうものも「目に見えないもの」の一つ。

瑛
ほんとうなら、どんな時代でも大事にされるべき価値観ばかり。

SNSやスマホが普及しても、時代が進んでも、食べ物を粗末にするしたり、命を軽んじたりするなんてのは絶対にあってはならないこと。

瑛
ですが!

ここで一度、自分の周りのことを考えてみてください。

「あってはならないこと」は、きちんと「あってはならないこと」として存在しているでしょうか。

病気で仕事に来られない人に「使えねえな」「情けねえな」と言う大人がいる。
すぐに「死ね」と口走る人がいる。
誰かの悲しみや苦しみを、「♡」「いいね」に変えようとする人がいる。

こういう言葉や思想は、対象者に向けられなかったとしても確実に社会に浸透してゆきます。一人でもそういう人がいると、社会は確実に影響を受けます。

瑛
社会の主成分は「人間」だからね。

たった1人でも社会は変わる

わたしは社会から関係ないよ、と思ってる人がいたら要注意。

例えば、「俺はこのイチゴジャムには関係ないや」と言いながらジャムの中でカビを生やしているイチゴがいたとしましょう。

焼きたてのトーストを片手に持ったあなたは「そうだね、きみはたった一つのイチゴだもんね」「このイチゴジャム全体に関わる程の大きさじゃないもんね、気にしないでいいよ」と言って、不運にもカビてしまったイチゴを退席させ、残ったジャムをパンに塗り、食べることができるでしょうか。

瑛
かなり極端な例だけど、「俺一人くらい」「わたし一人くらい」という思いとはいますぐにさよならしたほうが絶対にいい。

集団に対する帰属意識が悪いことの代表格として扱われることも多くなりましたが、個人の意志による「正しい帰属意識」は集団そのものを成長させるために必要不可欠なもの。

過剰な帰属意識も問題だけど、まったく帰属意識がないのも問題です。

このあたりのさじ加減が「0か1か」になりがちな日本人が苦手とするところなんだろうけど、難しく考えずに「隣に小さい頃の自分がいたときに、同じ行動を勧められるかどうか」基準にすると良いんじゃないかな、と思います。

瑛
そのうち「命の価値」を押し付けるのはモラハラだ! ってことが話題になる世の中が来たりして……。

「撃っていいのは、撃たれる覚悟のある奴だけだ」

ここまで読み進めてくださったあなたの頭の中には、「あーいるいる、こういう人いるよね」という気持ちが生まれたことでしょう。もしかしたら、「○○さんなんてまさにこれ」といった具合に実名付きで姿が思い浮かんだ、という人もいるかもしれません。

ただ、今回の新宿駅の問題からも分かるように、最近目立つようになってきたのは「普段はモラルを語りながら、ある瞬間にモラルが抜け落ちてしまう人たち」の姿。

つまりは、「自分は絶対こんなことしないよ」と思っている人が非日常に遭遇したときに「ちょっとだけなら大丈夫だよね」「情報公開するのは身内だけだし」挙句の果てに「みんなやってるし」「ばれなければ大丈夫」といった自分の事情が優先する世の中になっているということ。

瑛
モラルがない人も怖いけれど、モラルがない自覚がない人はもっと怖い。

「知っているつもり」の人たちにとってはモラルなんて「当たり前」のことだから、「モラルを問う」意味はほとんどなくなってしまうのが怖いところ。

だったらどうすれば……という話になるのだけど、結論から言うと

「撃っていいのは、撃たれる覚悟のある奴だけだ」

『コードギアス 反逆のルルーシュ』 主人公ルルーシュ・ランペルージ

誰かの悲しみをコンテンツとして消費した人が、自分の気持ちを消費されるのは嫌だなんて許さない――なんて許さない、ということになってしまいそう。

瑛
誰のためにもならないだけじゃなくて、社会そのものが冷たくなっていきそう……。

そうなる未来の本当にギリギリ手前にいる今だからこそ、わたしも含めすべての人が自分のことをじっくり見つめ直さなきゃいけないな、と感じます。

まとめ

SNSが普及して、誰もが「いま」を共有できるようになったからこそ、大切にしたいのが「目に見えないもの」の価値。

分かっているつもりがいちばん危険、と言い聞かせて自分のことをじっくり見つめなおすことが「目に見えないもの」を感じる第一歩。

自分が感じた痛みを誰かに押し付ける目には目をでお互いの行動を抑制し合うなんて世界を招かないためにも、いつもの「あたりまえ」少しだけ疑ってみる、という気持ちを大切にしたいですね。

それでは*

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